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2007/11/25

ボストンシャドウ

時代は、ずいぶん戦後間もない頃。新生ボストンとして生まれ変わろうとしている街は、開発や解体が繰り返され、市民と行政の間にかなりな隙間がある。

そこにアイルランド系一家、デイリー家がある。一年前に刑事だった父を亡くしたばかりの妻、マーガレット。その長男ジョーは刑事、次男マイケルは検察官、そして末っ子のリッキーは空き巣泥棒。

ジョーは大柄で、最近めっきり太ってきたが怒らせると誰よりも強く、また彼なりの正義感も持ち合わせていて、母の良き相談相手、一家の大黒柱だった。彼には妻も13歳の息子リトルジョーもいるが、玉に瑕なのが博打好きなところだ。
そして警官の半分はそうだといわれている(劇中)袖の下をもらうことも忘れない。だが、そのことが原因で、彼はギャングと抜き差しならぬ関係に陥っていく。

マイケルは検察官とはいっても刑事事件はほとんど扱わない。土地収集が専門で、それでいいと思っている。兄弟の中で一番繊細で気むずかしく、持病の偏頭痛が父亡き後から頻繁に起こり、苦しんでいる。兄弟で唯一ハーヴァード大学を出ている苦学の主である。
街を騒がせている、中年の女性以上を狙うという、ストリンガー(首を絞める)という猟奇的事件で組まれた特捜班に入れられ、困惑しているところだ。

弟のリッキーは卓越した技術と誇りを持った泥棒。入られたことすら分からないほど完璧に盗みを行い、ひとり優雅に生きている。誰もに本心を見せず、家族にすらそれは変わらない。唯一恋人のエミリーだけはそんな彼の本心を分かっている。

素朴な、裕福でない一家を襲った一年前の父の死から、新生ボストンの街に巣くうギャングたち、そして首を絞め、女性を侮辱的に殺してしまうストリンガーという殺人鬼。実はこの事件は本当にあったことなのだという。ただ、この話の中では虚偽織り交ぜてあり、誰が犯人かということはそれほど重要ではない。

この物語のおもしろさはやはり、この三人兄弟のキャラクターによる何気ない生き方、ごくまじめに暮らしてきた者たちがいかに危険と隣り合わせてしまうか、踏み外し、または幸運に恵まれていくのかという、ホームドラマなのかもしれない。
母のマギーは常に彼ら兄弟の女王として存在していたのに、いつの間にかジョーが柱となり、一番ひ弱だと思っていたマイケルがジョーを、あるいは母親を乗り越えていきかけたとき、一抹の安堵とショックを感じたりする。
マイケルは、父の親友であったコンロイという刑事が、母と恋仲になっていることすら許せない気むずかし屋で、そのコンロイにある疑惑を抱き続けて母と対立する。

マイケルは要領のいいリッキーや、木訥なジョーとは違って、常に偏頭痛と闘いながら少しずつ自分の役割を心得ていくのだ。
そうして、三人は兄弟げんかをしながらもお互いを愛し、母を愛し、父を尊敬し続けている。
シリーズになったらいいのに、と思うほど味のあるキャラクターだったけど、きっとそれはないのかもしれないな。
でも、できればもう一度ジョーとマイケルとリッキーの兄弟に会いたい……。
そんなふうに身近に感じるお話でした。

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2007/11/23

ハイテンション

Haitenshon

田舎の牧場を買って住んでいる一家の元へ帰る友人に、マリーは同行した。
彼女と一緒に静かに勉強をするためだ。
あてがわれた3階の部屋で、マリーは深夜まで眠れずにいた。
そっと自慰をし、自己に没頭するマリーは物音で起き上がる。

一階には古く、大きなトラックが駐まっており、たった今この家の主がむごたらしく殺されたばかりだったのだ。
物音を聞いた母親もまた、餌食になってしまう。
友人の元へかけつけると、彼女は自分のベッドの上で鎖で縛られ、猿ぐつわをかまされていたが、はずすことができない。
犯人がやってくる物音に、彼女はひとまず逃げ、やがてその家の小さな息子までが殺されたと知って愕然とする。

おまけに友人は縛られたままトラックに乗せられ、それを救いに行ったものの、マリーもまたトラックに閉じこめられてしまう。
ガソリンの給油で停車したトラックから、そっと降りてマリーは店員に救いを求めるが、彼もまた無惨に殺されてしまう。

これ、クーンツの小説が原作かなあと見ながら思った。
怖いし、友人はさらわれたけど、それを見過ごせば自分は助かるのに、敢えて犯人を追っていく。
どきどきどき・・・。
私なら逃げる――かもしれない。いや、友人を助けねば。
そうだ、助けるんだ!
クーンツの小説は、友人を救うというわけではなかったけど、やはりそうだわ。
フランス映画だけれど、間違いないな、だってここまでの展開はそっくり同じだわ、と思いきや、後半は犯人に追われるマリーが彼をあっさり殺してしまったあたりから、いや違う、と思い直した。

むごたらしい一家惨殺を企てたのは誰なのか?
・・・ってことを書いてしまうと、もう見る価値はないので内緒だけれど、ちょっといろいろ突っ込みたくなるところ多数かもしれない。

なぜ、犯人がここまで残虐に一家を惨殺しなければならなかったのか、その布石となる部分がほとんどないし、前半はじめに、「犯人」が生首でナニしてるシーンとかも紛らわしい。
こんなふうにやらねばならなかったのか。
もともと、そういう資質があったのか?

終わってみると、意外にありがちな話でもあったりして。
これに続けて見たもう一本も、実は同じオチ。けっこう多いのかもしれない。
でも、騙されたわ。
アタシ、素直つーか、なんも考えずに見てしまうつーか、要するに賢くないので(笑)。
たまたま二本続けてみたけど、別の日に見たらやっぱり騙されたかも(笑)。

でもこの映画、不必要なほど血がいっぱい流れるので、駄目な人は止めた方がいいかもね。極めて残虐なスプラッター系です。

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ディオニュソスの階段

時代は、まだ馬車が走っている頃。十九世紀の幕開けを迎えた街。
どこかの市と、その外れにある「地獄」とすら呼ばれる無法地帯に、敏腕刑事であったミルトン・ジェルミナルは左遷される。
彼が、かつて解決した事件で凶悪犯を逮捕した際の心の傷が癒えず、麻薬に手を出してしまったからだ。
その街で、富裕層の夫人が惨殺される。身体中の噛み痕、切り刻まれた無惨な遺体は警官たちをもショックを与える。

美しい刑事は、その街で両腕が生まれつきない研究所の所長のノヴェールと出会う。彼は、この町の検視を行う医師なのだが、自分では執刀せず、助手に的確に指示をしていくさまは、人柄と頭脳の良さを明晰に物語っている。
ジェルミナルは、この彼を最初恐れる気持ちにすらなるが、やがてふたりで事件を解明するとともに、自分自身が負ったジャンキーという負の部分をもこのノヴェールに委ねていく。

街は大きな工場に勤める工員たちが多く住み、彼らは賃金の低さや自分たちの待遇に常に不満を持っている。そして、社会主義者の青年に扇動されるようにストライキを企んでいる。そこの行程長であるスティグルは、それを抑えつつも、チャンスを待てと工員たちを諭す。
スティグルは、まるで天使のように美しいが、両手は酸に焼け、不可思議な雰囲気を持った男だった。

殺人は次から次へと立て続けに起き、ジェルミナルは非科学的な捜査で血迷っていく署長とも戦いながら、科学的な新しい捜査と自分の勘を信じて、真実に近づいていく。

……う~ん。くらい。つらい。
美しい男が出てくるのだが、巻末にも「作品の性質、作品の時代背景を考慮して、現在使われていない表現を私用している……」旨が記されているとおり、確かに現在の出版界では有り得ないほどの厳しい表現が多い。
ノヴェールの負った、生まれつきの姿態に対しての人々の言葉も、それ以外のこともけっこう、つらい、と思う部分が多かったのだが、確かに時代が古すぎるだけに、そういった心ない言葉が平気で使われていたのは間違いないのだろう、とも思える。
そうして、そういった人々の扱いの中、毅然として弱き子供たちを愛しているのベール伯爵の姿が、ひどく魅力的に描かれている。
ひどい言葉が多いだけに、彼の生きてきたものがただならぬ道だったと、かえって知ることになるのかもしれない。
また、彼の両腕の代わりに、ぴったりとそばにいる巨人ゾラは、大人にならないままの純粋な魂を持った、彼の騎士である。
このゾラが、また物語の陰惨さを救ってくれる。

そして事件が落着した、そのあとにタイトルにある「一段目、二段目~」という章がが始まり、犯人ディオニュソスとノヴェール伯爵との事の起こりの物語が始まる。
それまでジェルミナルを中心に回っていた世界が、ひと息に過去に戻るわけだが、犯人が分かってふ~んなんていう気分でいた読み手を、ひと息に切ない気分に落としてしまうかのようだ。

こんなふうに生まれなければ、こんなふうに育たなければ、彼にはもっともっと違う人生があったであろうのにと思わせるくだりに「殺人犯」への憎しみが遠くなっていく。
そして、なにもかもを否定された、現在としての彼の心情に想いが至ってしまうのだ。

だから読後に、なんだかもの悲しい気分になる。
けれども、ジェルミナルをも救ったノヴェール伯爵と、その僕であるゾラがお互いを支え合って生きていく姿を思い出すと、少し救われる……かなという気分でもあるのだけれど。
いろいろいろいろ、考えさせられてしまう物語でした。

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2007/11/17

理由あって冬に出る

ごく普通の高校で、美術部に所属する葉山。
この学校の文化部は、今は使われていない校舎に寄せ集めれられており、文化部以外には出入りはほとんどない。
吹奏楽部、茶道部、演劇部など、てんでに部屋を使っているし、美術部には葉山以外にはまじめな生徒はおらず、先生も自分の制作に余念がない。

そんなとき、この校舎に現れるという「壁男」の噂が流れる。
そのうえ、半年ほど前に行方不明になったという女性との幽霊までが出るというので、怖がる吹奏楽部の部員たちは練習に身が入らない。
その吹奏楽の部長は、男らしい話し方をするいかした女生徒だが、幽霊などいないといいはって、夜それを確かめに残るという。
なぜだか、そのよその部の騒動に巻き込まれ、人のいい葉山はそれにつきあうことになってしまった。
ところが、そこに幽霊の鳴らすフルートの音と、しかも壁男までが現れてしまった!

葉山をいつも勧誘に来る文芸部部長の伊神先輩は、けっこうな変人だが推理力もあり頭もいい。
その彼が、乗り出してきて葉山はまるで彼の助手のように、なぜだが幽霊騒ぎに一番関わりをもってしまうのだ。

伊神先輩は、自信過剰気味の理性的な人物。この彼が、めっぽうおもしろい。
誰もが壁男の出現に、恐れおののいているときに、ひとり冷静に状況を見ている。
そして、絵に描いたようにいい人柄が滲み出る葉山の一人称の語り口が、けっこう笑え、彼が意外にお茶目で周りをよく見ていることを物語っているのだが、それでいて助手的役割をちまちまとこなしているのが、愛らしくさえある。

高校の頃って、ひとつ、あるいはふたつしか違わない先輩がけっこう絶対な存在だったりしたよなあと、自分のはるか昔のことを思い出したりしたのだが、後書きを読むと、やはり最初の設定は過去を振り返る、という少し前の話だったらしい。
けれども、必然性を考えていくうちに現在進行形でいいのでは、とこの形に変えられたそうだが、どことなく自分の過去を思い出してしまうあたり、空気が少し前だということを告白して(笑)しまっているのかも。
そんなこんなで、懐かしさを勝手に感じつつ、登場人物たちひとりひとりの性格がおもしろく、また、ミステリであるにもかかわらず、陰惨な事件というのはほとんどなくて、楽しく読むことができた。

そしてラストに、葉山は涙を流すのだ。
「壁男」の、真の正体を知って。

同級生のような親近感を感じた、素敵な一編でした。

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2007/11/10

バイオハザード3

Vio3

赤いドレスを着たアリスが、得体の知れない場所で目覚める。
行く手を阻む怪しげな罠に、立ち向かっていったものの、とうとうアリスは死んだ――。

え? のっけからですかい? というわけもなく、ちゃんとアリスは生きておりました。
荒野の真ん中に立てられた掘っ立て小屋。長閑な景色かと思いきや、それを取り囲んでいるのは件のゾンビの群れである。
しかもものすごい数。
小屋を何十回分もエレベータで下りていくと、そこにはハイテクな研究所が。
アリスはそこで死んでいるわけです。
たくさんのクローンが。
でも、クローンではやはり弱い。本物のアリスを捜すことこそ、研究を活かす方法だと科学者が彼女を捜し出す。

ひとり荒野をオートバイで駆けめぐりながら、アリスはまたカルロスに出会うことになる――。

あらあ、カルロス渋い。

映画館まで行って一番なにが嫌かというと、つづく、になっているところかなあ。
少なくともすぐに見られるというわけでもなくて、これはつらい。
バイオシリーズも間違いなく4に続くことでしょう。

まか不思議な力まで得たアリス。
もともと強かったのに、パワー増強。
実は、バイオハザードはゲームは怖かったけど、映画は怖いとはあんまし。
だって、主人公強いからねえ。
そういうわけで、アリスが見せる砂漠ファッションとか、アクションとか、カルロスの男前のとことか(笑)堪能するにはいいでしょう。
あと、アリスの瞳が宝石みたいに澄んでいて、汚れた格好の中にいてひときわ目を惹いた。

ゲームにもしょっちゅう現れたカラスや犬の変身した姿は、人間のゾンビよりもなおいっそう不気味でした。

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2007/11/08

毒魔

「この国は世界中から嫌われている」

ショッキングなほど、自国に対して醒めた視線がすごい。
バスターミナルで、一瞬の間に百名以上の人間が死んだ。皆、血に染まり、あっという間に、しかしものすごい苦痛の形相で死に至っていた。
これはテロなのか、何かのガスが撒かれたのかと調べを進めるが、ガスではなくなにかの菌であることが分かった。
しかも、じきに感染の心配はないという結果が出た。
もし、体中から血を流して死んでしまうというエボラ熱ならば、もっと長い潜伏期間とあとあとまで、感染のおそれが残るはずなのに。
どうやら遺伝子操作を加えて、死に至るスピードを調整しているらしい。

問題は、「これが始まりで、次の日曜に終わる」という予告メッセージが届いたことだ。
FBIやCIAは、目の色を変えてアラブ系テロリストたちを探し、州警察が来て、バスターミナルにいて感染をしなかった人々は、町の一角に足止めをされ・・・。

これはノンフィクション作家フランク・コーソのシリーズもので、彼は今回もこの事件に関わってしまう。
というより、自ら飛び込んでしまうのだが。
世捨て人のような生活をして、ボートに住んでいるコーソは、事件の本質に迫っていくことで、暗澹とした気分にすらなる。
テロリストは、今注目されている人種ばかりではない。
「この国は世界中から嫌われている」
そうして、他所での戦争を行い、自国は安全に保っていたはずの巨大国家は、いつの間にかその懐に、たくさんの「憎しみ」を誘い入れてしまっているのかもしれない。

幾度も幾度も出てくるこの言葉は、おそらく作者が日々考えていることなのかもしれない。この部分だけが、やけにリアルだ。
火種はあちことにあって、それはこの巨大国家に限らず、地球規模で人々の心に影を落としているのかもしれない。
ただ、理由はどうれあれテロを起こしていい理由はないし、それに巻き込まれて罪なく死んでいった人々を思えば許せない行為には違いない。

それでも、犯人たちの姿が、ひどく哀れに思えるのは――仕方ないのだろうか。

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